noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』を連載中

「脳トレ」って時間の無駄じゃない?

脳トレのゲームってあるじゃないですか? 

ブロックの数を数えたり、計算をやったり、順番に数字を押したり……。

「そういうの買おうかな」「やってみようかな」と思っている人もいると思うんですが、僕は「頭をよくしたいから、脳トレゲームで頭を鍛えよう」というのは違うんじゃないかという感覚を持っています。

頭がよくなるというより、それがうまくなるだけなのでは?

「脳トレ」というと、まるで「頭がよくなる」「脳全体の働きがよくなる」というイメージを持たせる言葉だと思うのですが、それに対して僕は懐疑的です。

ブロックの数を数えるトレーニングをやったら、ブロックを数えるのがより早く、うまくできるようになるというだけのことではないか? という気がするのです。

「これであなたの計算力がアップしますよ」ってことで、 足し算とかの計算をするトレーニングゲームをやったとしましょう。

そうしたら、確かに、計算が速くできるようになったりするんだと思います。脳の使った機能が成長するというのは、当然の結果だと思います。

だけど、それは、日常的な頭の良さとは関係ないんじゃないかと思うんです。

計算力が身についたかどうか。それを確かめるためには計算テストをやるしかないです。だけど、計算テスト自体が日常的ではないじゃないですか?

つまり、脳トレの計算トレーニングは、計算テストでいい点数を取るためのトレーニングをやっているに過ぎないのではないか。

知能テストみたいなもので好成績を出すためのトレーニングをやって、見せかけの頭の良さを伸ばしているだけなのではないか? それに何の意味があるんだろう? というのが僕の感覚なのです。

「いやいや、計算力が付けば、お金の計算を使う職業の人、例えば、銀行の人とか、お店でおつりのやりとりする人とかは役立つんだよ」

と思うかもしれませんが、そういう人は、わざわざトレーニングなんかしなくても、仕事の中で自然と必要な計算力はすでに身についているはずなんです。普段からやっているからです。

仕事で必要な人にとって、トレーニングをする必要はなく、仕事に必要のない人がわざわざ脳に負担をかけて、なくてもいい能力を必死で伸ばしているという構造に思えてならないのです。すごく無駄な感じがするんです。

「いや、きっと何かの役に立っているんだよ」

「トレーニングすれば、応用で普段の行動にも何か好影響があるはずさ!」。もちろん、その可能性は否定できません。脳は謎がいっぱいです。脳トレをやったおかげで、気付かないところで役立つこともあるのかもしれません。

でも、何の役に立っているかわからないことより、確実に役に立つことに時間を使った方がいいと思うんです。

漠然と「頭をよくしたい」ではなく、頭をよくしたいなら、頭をよくして何をしたいのか、どうなりたいのかが大事なのではないだろうかと。

それを考えると「脳トレ」は回り道です。直接目的につながる努力をした方がいいように思えます。

「ボケ防止などの役に立つのでは?」

「日常で頭を使うことが減ってきて、ボケてしまうとよくないから、脳トレを」という意見ももっともらしいのですが、それなら、なおさら脳トレで解決しようとするのではなく、もっと根本的に、日常的に頭を使わない生活に甘んじている状況の方を変えた方がいいように思います。

平面画面の脳トレゲームより、例えば料理を作るとか、日曜大工をするとか、実際に五感を使って、いろいろなものに触りながらやることを生活に取り入れた方が、質のいい刺激を脳に与えられるように思います。

サプリメントと同じで、それに頼る前に、まず普段の食事からきちんとする方を選ぶのがベターなのではないでしょうか。

ゲームと割り切って「楽しいからやる」なら問題ない

「脳トレゲームって楽しいよね」と、ゲームとして楽しむだけならいいと思います。

頭を使うって、楽しいですよね。

その楽しさを味わうためのゲームとしてやるならいいと思います。楽しんで下さい。

自信はない

「脳トレ」に対して否定的なことを言いましたが、そこまで自信を持って主張しているわけではありません。効果に対して「懐疑的」というだけです。

そんな感じがするというだけで、科学的な根拠も持ち合わせてません。

「実はすごい効果があるんです」ということなら、知らずに勝手なこと言ってごめんなさいという感じです。

ただ「脳トレをすれば頭がよくなる」「頭をよくするには脳トレしかない!」と盲信している人がいた場合、そこに大量の時間をつぎ込む前に、ちょっと考えてほしい思って書きました。

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