noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』『側溝のおいしい水』を連載中

「EQ」とか「コミュ力」みたいな概念が嫌い

高校の頃、英語の教材で「EQ」というのを習いました。EQはエモーショナルインテリジェンスのことで、「心の知能指数」と呼びます。

簡単に言うと、テストで点が取れるかどうかという頭の良さ(IQ)より、他者とうまくやれるかという頭の良さ(EQ)のほうが、人生の成功に関わりが大きいんですよみたいな感じのものです。

これで僕は結構傷付いた

「人はIQでは決まらないよ、学校の成績が悪いからって落ち込むなよ、大事なのはEQだよ」。

成績が悪い人にとって、その言葉が慰めになるのかもしれませんが、逆の人もいるのです。

僕は高校時代、成績はよかったけど、友達がいなかったから、EQの教材は、まるで僕に対する当てつけのように感じていました。

「お前は成績がよくても、人づきあいがダメだからダメだね。一生不幸な人生だ。 人に好かれない人間は人生もグダグダ。 お前にはそれがお似合いさ。残念だったな!」

そう言われているようで、悲しかったです。

そういう概念が差別を生む

「EQが高い人は素晴らしいですね。低い人はダメですね」

もし、そういう考えがどんどん広まり、それで人を判断することが日常になったらどうなるでしょう?

「あの人はEQが低い」というレッテルを貼られた人は、どうなってしまうのでしょうか?

EQという概念さえなければ、そんな風に見られることもなかったのに、そのレッテルゆえに社会的に差別を受けることになりかねません。

IQ差別みたいなものに対するアンチテーゼとして、提唱された側面もあると思いますが、結局のところ、別の物差しによる差別材料を提示しただけになっている気がします。EQの著者にそんな意図はないのでしょうが、IQっぽいネーミングにしたために、そういう誤解は免れません。

コミュニケーションは一人では成立しない

EQもそうですが、コミュニケーション能力も「高い」「低い」と言い表されます。

しかし、これらは、簡単に他人と比較できるものではありません。 あまりにも複雑です。 判断材料が曖昧で、どの角度から検証しても一概に言えることなどないでしょう。

僕の考えですが、人は一人一人違うので、相性がいい・悪いはあるかもしれないけど、高い・低いはないと思うのです。より多くの人に合わせられる人、より多くの人と相性のいい人、あるいはそういう技術を持っている人が「高い」とされているだけだと思っています。

人づきあいは一人では成立しないものです。

会話の仕方や、しゃべり方や、ボディーランゲージや、人との距離の取り方などに、ある種の技術はあるとしても、それによって目的が達成できるかどうかはまた別の問題です。技術が通じるかどうかは、相手次第なのです。

人と会話が弾む場合、自分のトークがうまいのか、相手の聞き方がうまいのか、判断は難しいです。おそらく、両方がうまくいっているのでしょう。

同様に、人と人がうまくつきあえない場合、どちらか片方の問題ではありません。理解しにくい性質を持った相手と、相手の特性に合わせられない自分の能力不足。それを互いに持っている状況なのです。

それに、つきあいたいかどうかという、本人の希望みたいなものも絡んできます。その場合、興味を持たせない相手が悪いのか、相手に興味を持とうとしない自分が悪いのかどちらにも考えられます。

僕は、パリピみたいな賑やかな人とはつきあいにくく感じます。

彼らに対して僕は「彼らはコミュニケーション能力が低いから僕に合わせる能力がない」と考えることもできますが、彼らに合わせられない自分にも問題はあると対等に考えます。

なのに、賑やかな人たちは自分に問題があると考えず、僕のような、奥ゆかしく遠慮がちな人に対して「あいつはコミュニケーション能力が低い」と一方的に決めつける風潮があって、そこは納得いかないです。

まあ、それは個人的に感じることなので、考えすぎかもしれないし、僕が気にしなければいいだけのこと。どうでもいいです。

言いたいのは、「コミュニケーション能力」というものが、曖昧で身勝手な基準で判断されているくせに、強い影響力を持っているという現状を変えたいということです。

人は数字でははかれない

そもそも実際にそんな能力が存在するわけではないのです。

EQ もコミュニケーション能力も抽象的な概念です。仮定の話なのです。

「もしEQというものがあるとしたら、あの人は高いと言えるのではないか」「もしコミュニケーション能力というのものがあるとしたら、あの人は高いといえるのではないか」というのが正確な言い方です。

それを「あの人はEQが高い」「あの人はコミュ力が高い」と、実際にはないものをあると思い込ませるような言い方をするから、変に信じる人が出てくるのです。

その結果、ありもしない概念で人を決めつけるような動きが出てきてしまう。

まあ、EQも昔話題になったくらいのもので、今はそんなに流行ってないのかもしれないですけど、第二第三のEQが現れないとも限らないので言っておきます。

「人をありもしない物差しで測ろうとするのをやめましょう」「もしやってる人がいても無視しましょう」「自分はそこに乗っからないと決めましょう」と。

人は数字でははかれません。上も下もありません。

IQもEQも、気にする必要はありません。そんなものは捨ててしまいましょう。

代わりに、レッテルや抽象概念で人を見るのではなく、一人一人違った、その人そのものを、ありのままに見ましょう。人の持つ性質を楽しんで見ていきましょう。

あともう一つ言いたいのは「というようなことを『人づきあいが苦手な僕たちの逆襲』という本にも書いていますので、ぜひ読んで下さい」ということです。

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