noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』『側溝のおいしい水』を連載中

僕はサッカーができない

サッカーといえば、丸くなって昼寝をしている子供のコアラくらいの大きさのボールを蹴って、相手チームのゴールに入れ、その点数を競うスポーツです。

超メジャーなスポーツですが、僕は超苦手です。

ぐいってされるのが嫌

ボールを追いかけたりすると、敵チームの選手に、「お前邪魔なんだよ!」と言わんばかりに押されたり、肩などをぐいってされます。あれがすごく傷つくのです。泣きそうになります。

ボールを得たいという自分のエゴのために、他人の体を突き飛ばす。なんでそんな酷いことができるんだろうと思います。ぐいってされる人の気持ちを考えて欲しいものです。

ボール怖い

結構な速さで飛んできますから、ボールが当たったら痛いです。激痛です。

それでも我慢して、恐る恐るやっていると、チームメイトからは「ボール怖がっちゃダメだよ」と理不尽な命令を出されます。

怖いものは怖いのです。「怖がっちゃダメ」と言われて、怖がらなくなるなら、この世のあらゆる恐怖症は存在しなくなります。

サッカーをやっている人はなぜかそれを理解できず、「ボールは友達だから怖くない」などという筋の通らない理屈を押しつけてきます。

割が合わない

人を押したり、ぐいっとやって、傷つけるのは相当の覚悟がいります。

しかし仮に、その覚悟を決めて、ゴールを奪ったとしても、数字が増えるだけです。電光掲示板や、ペラッとやる点数表の数字が1コ増えるだけなのです。

ボールの痛みに耐え、人と傷つけ合いその代償として得られるのが、数字が1コ増えるだけ。

天秤にかけたとき、その数字にそれだけの価値があるとは思えません。どう考えても、割が合わないのです。

相手がボールを持って攻めてきても、「そんなに数字が増やしたいなら、いくらでもゴールに入れればいいじゃないか。僕は止めないから」という気持ちになります。

僕は数字なんかいりません。その代わり、相手を押したり、ぐいってしたり、ボールをぶつけたりして傷つけたくない。最後までいたわりの精神を持ち続けていたいのです。

仮にそれで、試合に負けても、人としては勝っていると思います。

サッカーのできない体

サッカーをやっている友人に「ボールあたったら痛いじゃん」と話すと、「そんなに痛くないよ」と言うので、そこか、と思いました。

ボールを痛いと感じるかどうかが、サッカーができるかどうかを分けるポイントなのです。皮膚感覚が敏感な僕にとって、ボールがあたればかなりの痛み。ボールが怖くなって当然。その差です。

ボールにそこまでの痛みを感じない人だけが、純粋にゴールを目指せるのでしょう。

どうやら、僕はサッカーのできない体に生まれてしまったようです。

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