noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』を連載中

野球の「流れ」

「あまのじゃくのすすめ」毎回書くことに迷います。プロ野球が開幕したので、今回は軽く野球の話でもしますか。

野球中継で必ずと言っていいほど出てくるワード「流れ」。

「今はこちらのチームに流れがありますね」「流れがいいと、こういうプレーも出ますよね」

流れ、流れ、流れ……。ものすごく連呼しています。

いろいろな意味で使われているようですが、流れが来ているチームはいいプレーが出やすい、いい結果になりやすいということらしいです。

どこまでこれらの解説を信用していいのでしょう?

いいプレーが出れば「今のプレーが流れを呼びましたね」、悪いプレーが出れば「今のエラーで流れが向こうに行っちゃいましたね」と、結果を見て言っているだけということはないでしょうか?

ヒットが続き、さらにヒットが出れば「いい流れが来ているから」ということになり、ヒットが出なければ、守備側が「流れを断ち切った」ということになる。結果を見てからどちらにも言える。それって、ズルくないか? と思うのです。

野球はメンタルの影響が大きいスポーツなので、「いけるぞ!」という気持ちになる状況や、ランナーがたまって、プレッシャーがかかりやすい状況などがあるのは分かります。そういうのがプレーに影響するのもわかります。

でも、こういう結果になったのは「流れ」が理由だと言い切れるほど、「流れ」に力があるようには思えません。実際、「これが『流れ』というものです」と解説された一連のプレーは、仮に「流れ」というものが存在せず、全て偶然だと仮定しても、説明が付くくらいの確率で起こることばかりです。

ましてや、プロのレベルになると、メンタルに左右されず、安定したプレーができるように訓練しているはずです。「流れ」の影響って、わざわざ言うほど大きくないのでは?

「ムード」くらいの意味ならともかく「見えない力」みたいな意味の「流れ」は「気のせい」「思い込み」の域を出ないのではないかと思えます。

パチンコで大きなリーチが何回も来たとき「流れが来ているぜ」「そろそろ、当たりが来そうだ」と思っても、実際は、ただ当たりそうな演出のハズレを多く引いているだけで、「流れが来ている」などというのは、思い込みに過ぎません。

もちろん、スポーツは運だけのパチンコとは違います。ただ、惜しいことがあると「いけそうだ!」という気持ちになるのが人であるということは言えると思います。点が入りそうな惜しいプレーが多く出ていると、そちらのチームに流れがあるように見えるというのは、そこから来る思い込みの可能性が高いと僕には思えるのです。

そう言うと、「流れ」の存在を完全に否定したいみたいですが、そうではありません。

結局、確かなことは何もわからないでしょう。わからないから、あーだこーだ言える余地がある。そのあーだこーだ言うのがスポーツ観戦の楽しみだったりもするので、真実がどうであれ、それはそのままにしておけばいいやと思っています。

解説者も元はプレイヤーなので、プレイヤーも監督も「流れ」を意識していて、それがプレーや采配に影響しているのかもしれないと考えれば、それはそれで意味のある解説ということになるのでしょう。

ただ、「今のホームランで流れが来ましたね」「流れが変わる大きな一発」などという解説はちょっとズルいなと思います。

例えばフォアボールでランナーが出て、そのあとのゴロをフィールダースチョイスで1・2塁。「守備側が悪い流れになってます。こういうときは点が入りやすいので気をつけないと」みたいなことならわかる。「そうか、見えないけど、『流れ』の力が働いているのか、本来の力が出しにくい状況なのかな?」と、解説が参考になります。

でもホームランはズルい。ホームランは点が入っているので、試合の「流れ」というより、ある意味、結果です。点を入れたチームがいい気分になったり、試合が有利になるのは当たり前で、それを「流れ」と言われると違和感があります。「流れ」を解説するなら、もっと手前で使ってほしい。「今、攻撃側に、いい流れが来ているのでホームランが出るかもしれませんよ」と解説して、本当にホームランが出たらなら「おお! 『流れ』の力ってすごいな。解説の人すごいな!」と思うのに……。

「流れ」をよく口にする解説者を見ると、「流れ」という言葉の曖昧さを利用して、解説しているように見せかけつつ、誰でもわかることを言っているだけなのでは? と警戒します。なるべく「流れ」を持ち出さず、解説してくれる人の方が好きです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です