偏見を持たない人かっこいい

偏見を持たない人かっこいい

少し前に、映画の『名探偵コナン業火の向日葵』というのを見まして、怪盗キッドから、ゴッホの『ひまわり』の絵を守ろうという話なんですが、この映画にチャーリーという人物が出てきます。キッドから絵を守る側のリーダー的な人物ですが、このチャーリーはコナンを「気付いたことがあったら知らせてくれ」と重用します。

「ぼくただの子供だよ」というコナンに「私にそんな偏見はない」と言い放ちます。

この人はただ者じゃないな、かっこいいなと思ったんです。

見ているこっちはコナンの正体を知ってるから、その判断が正解であることが分かるのですが、よく考えると、なかなかできることではありません。

子供だからと、切り捨てない度量。周辺情報に惑わされず、本物を見抜く力。そこにかっこよさを感じたのです。

「その他大勢とは違うな、この人は」と思わせる何かは、そういうところからくるものです。

「日本人は……」という主語の大きな話が不愉快

一方、ニュースアプリなどを見ていると、「日本人は働き方が下手」「日本人は英語ができない」「日本人は不親切だ」「日本人は迷惑な人を注意せず、見て見ぬ振りだ」……。などと、「日本人」を一括りにして、否定的、自虐的なことを言うネット記事がよく出てきます。

「主語がでかいな」と思うのです。

内容は知らないけど、『なぜ日本人は韓国人に嫌悪感を覚えるのか』という本もあったりします。僕は日本人だけど、韓国や韓国人を嫌ったことは一度もありません。というか、好き嫌いに国籍は関係ないです。

当てはまらない人がいっぱいいるのに、「日本人」とひとまとまりにして、勝手にその中に入れられるのは、迷惑だし不愉快です。

「日本人はダメだ」みたいな記事を書く人に言いたいのは、もし海外の事情をよくご存じなら、その貴重な見識を、日本人を否定することに使うのではなく、身近な人々をよりよい方向に導くために使って欲しいということです。

「日本人はダメだねえ」ではなく、「この国ではこういう風習があります。これは日本でも、とても感謝されると思います」という伝え方をする。「そんな風に感謝されたらいいなあ」と思えるような伝え方をすれば、進んで考え方や行動を変えるでしょう。

僕の挑戦

「日本人は」「男は、女は」みたいな論法でものを語る人を見ると、「自分は偏見を持ち、それを広めようとしています」と言っているように僕には見えます。

主語を大きくして、一括りにすれば、大抵のことは楽に片付くし、話は分かりやすくなる。偏見を持って生きる方がずっと楽です。

でも、実際には、人は一人一人違うし、物事は一つ一つ違う。

思考を止めず、楽をしようとせず、偏見を持たずに生きる。それが僕の挑戦です。

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