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「遅刻は遅れた時間✕待たせた人数分の時間を奪ったことになる」みたいなのが嫌い

遅刻した人に対して「君は10分遅れただけだと思うかもしれないが、6人を10分待たせたんだから、合計1時間の時間を奪ったことになるんだ」みたいな言い方で説教するパターンありますよね。あれが嫌いです。

遅刻に腹を立てるのはわかる。でも「遅刻はよくないね」でいいと思うんです。なんで時間を合計するというよくわからない理屈を持ってくるのか、意味がわからないのです。

みんなに確認したわけでもないのに「みんな迷惑している」みたいな、みんなの代表者ヅラを勝手にしているのも嫌ですが、それは今回は置いておきましょう。

とにかくこの「遅刻は遅れた時間✕待たせた人数分の時間を奪ったことになる」という、事実を無視したしょうもない低レベルな理論を押し付けられなければならないという不幸をこの国からなくせないものかという話です。

時間は質量を持たないので、足したり掛けたりできないし、与えたり奪ったりもできない

「10分の遅刻は全員の時間を10分奪う。10人いれば100分だ」

率直に思うのは「え? 何言ってるの?」です。「何、その頭悪い計算」です。

時間って、形がないものだし、そういう風に足したり掛けたりできるものじゃないじゃん? 

人にとって時間というのは、奪ったり与えたりできるような性質のものじゃないです。

みんなの時間を合わせてプレゼントしたりもできないでしょう?

時間を数字として計測して、計算することはできるかもしれませんが、それはただ、数字を計算しただけで、それ以上の意味をなすものではありません。ただの数字あそびです。ただの空想です。

その空想で時間を足し合わせて、それを奪い取ったと言って人を責める。非科学的でバカげた行為だと思います。

本当に遅刻は時間を奪っているのか?

次に「遅刻は相手の時間を奪う」ということについて。

ここで問題にしたいのは時間を「奪う」という表現です。

遅刻をした人がいた場合、待っている他のすべての人がその間意識を失い続けるという仕組みならたしかに時間を奪われていると言えるかもしれませんが、待っている人もその間、自由に動くことができるはずです。

誰かが遅れているせいで予定通りの行動が取れないということはあっても、その間にできることはあるはずです。いる人同士で楽しく会話をして仲を深めるとか、スマートフォンで情報を収集するとか、できることはいろいろあるわけです。自分次第です。

「遅刻は時間を奪う」と考えるのは「誰かが遅れると何もできない」「待っている時間は無駄である」という思い込みがあるからだと思うのですが、たとえば、ラーメン屋さんに行列を作って長い時間待っている人たちは、無駄な時間を過ごしているのでしょうか? 時間を奪われているのでしょうか? おそらく、本人たちはそう考えていないでしょう。

待っている時間が無駄かどうかはその人の考え方次第です。

考え方次第なのだから、なるべく良い方に考えた方がいいんじゃないかと思います。

たとえば10分カットの仕事をしている理容師さんが10分間、お客さんの髪を切ったとする。その人は自分の時間を10分他の人のために使っているから、人に時間を奪われたことになるか? これは考え方次第です。「その時間も自分の時間だ」と考えることも「時間を売っている」とも「奪われている」と考えることもできます。

でも誰かのために自分の力を使って仕事をするって素敵なことだと思うし、喜びもあると思います。自分の目で見て、自分の体を動かして、自分の仕事の成果を見て、充実感を感じたり、疲れを感じたりする。それは他の人に代わってもらうことのできない自分だけの経験であり、「それも大切な自分の時間だ」と僕は思いますし、人にもそう思って働いてほしいです。

つまり、自分の生きている時間は全部自分のものです。誰かが遅刻したくらいで「奪われる」ようなものじゃないというのが僕の感覚です。

お金は時間だから?

「時間はお金に換算できる。『時は金なり』というだろう。時間を合計するのはそういうところから来ているんだ」と言う人もいるでしょう。まあ、そういう考えもあるのはわかりますが、僕から見ると、それは時間とお金に支配されすぎだろうと感じます。

時間は時間、お金はお金です。人はお金のためだけに働くわけじゃないし、働く時間が辛いとは限らないし、自由な時間が楽しいとは限らないし、大事なことだけに時間が使えるわけじゃない、何もしない時間だって脳には必要だといいます。複雑なものです。

時間とお金を同一視するのは、人や人生の時間をお金を生むための装置としてばかり見ているのかなと思うのですが、それはあまり自分や人を幸せにする発想ではないなと感じます。

時間はお金ではありません。「時間は時間、お金はお金」という正しい見方ができないと大切なことを見誤ることになります。

その人が時間とお金の奴隷として生きるのは勝手ですが、「全員の時間を足した分だけ時間を奪った」などという形でそれを押し付けられるのが嫌なのです。

もし、遅刻による金銭的な損失が問題なら「遅刻のせいでいくら分の損失を出している」と普通に金額を伝えればいいと思います。

自分の準備不足、機転の利かなさを露呈しているだけ

待たされても、それならそれで、その時間をいかに充実させるか考えればいいと思うんです。

「お前の遅刻のせいで、時間が無駄になった」と喚いているのを見ると、時間を無駄にしているのは自分自身じゃないかと言いたくなります。

誰かが遅れてくることを想定して、その場合どうするか考えていなかったという準備不足や、その場でどうにかしようという機転もないという無能さが露呈しただけだなと、僕なら思うでしょう。

遅刻していいと言いたいわけじゃない

誤解のないように言うと、僕の主張は「遅刻に怒るな」とか「遅刻に対して厳しく言うな」ではありません。遅刻はしない方がいいです。

時間に対してどのくらい厳密さが求められるかという感覚は置かれている環境、状況、職務などによって変わってきます。本当に一刻を争う事態で誰かが遅刻したせいで間に合いませんでしたみたいなことになれば、それは怒りを感じるのも自然なことです。

問題にしているのは「待たせた全員の時間を合計すると」みたいなありえない計算と、「時間を奪った」という表現です。僕の望みはこの2つの表現をやめて、普通に「遅刻はよくない」「遅刻しないでほしい」「遅刻は迷惑だ」という健全な表現にしてほしいというだけなのです。

反論しにくい根深い問題

僕以外にも、この滑稽な時間の掛け算をおかしいと思っている人は大勢いるでしょう。

この問題の根深さは、遅刻した当人は内心「は? 全員の時間合わせて60分? 10分は10分でしょ? 何言ってるの? おかしいだろ!」と思っていても、遅刻した手前それに反論しにくいという点です。

反論しようものなら「言い訳している」「遅刻したくせに反省していない」ということにされてしまう。

「それはそれ、これはこれ」として「遅刻は申し訳ないけれど、みんなの時間を足すみたいな意味不明な理屈は納得できない」と言っても、それを正しく受け取ってもらえるとは思えません。

なにしろそんなトンデモ理屈を繰り出してくる相手ですから……。

結果、そのおかしな理屈で説教する本人は、それが正しいと信じたまま、同じ説教を繰り返すことになってしまいます。

「俺は奪われてないよ」と言ってみる

本人はおかしいと思っていても言える立場ではないとなると、この状況をどうにかできるのは、遅刻していない別の誰かです。

遅れていない人が言う分には、多少聞いてくれるかもしれません。

もしあなたが先に集合場所にいて、誰か遅刻してきたら、そしてそこで「お前は6人を10分待たせたんだから、合計1時間の時間を奪ったんだ」と言い出す人がいたらチャンスです。「あ、俺は奪われたと思っていないんで10分引いてください」と言ってみましょう。

「何なんだよ、お前は」とはなると思いますが、その非科学的でヘンテコな理論がまかり通る環境を認めずに済むのですから、悪くないでしょう。

実際、勝手に時間を奪われたことにされるのは迷惑ですし……。

もし「自分もその掛け算、おかしいと思ってた」という同士がいれば、「自分の分も引いといてください」と追随してくれるかもしれません。

その後、意図を説明したらわかってもらえて、二度とこの方式の説教はしなくなるかもしれません。

あるいは、その説教の仕方に「遅刻説教ハラスメント」みたいな名前をつけて「最近そういうのあるらしいよ」と広めてみるのもいいかもしれません。

まとめ

 繰り返しになりますが、遅刻を責めることが悪いと言いたいのではないのです。ただ、正しいやり方でやってほしいのです。

正しい方法というのは、「遅刻をされて迷惑だ」「予定が狂って困っている」「二度と繰り返さないでほしい」「その分埋め合わせしてほしい」など、自分の気持ちや要求を端的に伝えることです。

その際、人格の否定や、そう受け取れるような言い方もすべきではありませんが、今回はそれも置いておきます。

とにかく「遅れた時間✕待たせた人数の時間を奪った」というおかしな理屈が嫌なんです。気持ち悪いんです。

このおかしな論法を使う人がいなくなることを心から願います。