noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』を連載中

「人間、一番大事なのはハートだ」とか言いたくない

人生うまくいってます風の人が、うまくいく秘訣みたいなことを聞かれて「やっぱり、最後は気持ちですよ」「一番大事なのは気持ちなんですよ」「人にとって一番大事なのはハートです」みたいなことをよく言うじゃないですか。

僕はそのセリフだけは言わないようにしようと思っています。

気持ちはマネできないから

どういう意味で言っているかは、文脈次第ですが、例えば、気持ちが支えてくれるから、辛くても頑張れるとかそんな感じでしょう。

熱い気持ち、情熱、パッション。心のなかでギラギラ燃えていて、だから頑張れる。まあ、嘘ではないんでしょう。そりゃ、そういう状態なら、それが一番いい。

「最後に勝つのは気持ちの強い方だ」みたいな、スポーツ解説とかもよくあります、まあ、そうなのかもしれない。それを否定したいわけではないんです。

「気持ちが大事」だというのは嘘だとか、もっと大事なことがあるだろということが言いたいのではないのです。

それを言われても、マネできないじゃないですか。参考にならないじゃないですかってことです。

強い気持ちとか、やる気や情熱みたいなものは、実際には、いくら欲しくても、沸いてこないときは沸いてこないのです。意思ではなかなかコントロールできないものです。

なんとか、取り入れられるものはないかと思って話を聞いたら「やっぱり、気持ちですね」と言われてしまうと、「じゃあ、気持ちがない人は、諦めるしかないんですね」ってなっちゃう。希望が持てないです。人に希望を与える立場の人が、人から希望を奪ってどうするんだと……。

「気持ち」「ハート」を人として大事なものみたいに言うのをやめてほしい

「気持ち」を、人として大事なもののように言ったり、考えたりする風潮ってあると思うんです。

それが嫌なのです。人の心や気持ちを、何か尊いもののように考えるのをやめて欲しいです。

あまつさえ「お前はやる気が無いのか!」「気合いが足りないからダメなんだ!」と、人のやる気のなさを怒る人までいます。

僕は鬱傾向が強いから、自分の好きなことでさえ、やる気が出ないことがあります。「やる気があれば、全部うまくいくのに」「もっと早く終わるのに」と思いつつ、歯がゆい思いをしながら生きています。

やる気、情熱、前向きな気持ち。何の努力もしなくても、そういうものが自然と沸いてくるなら、そりゃあ人生楽だろうなと思います。

つまり、やる気が出なくて、一番辛い思いをしているのは本人なのです。なのに「人として大事なものが欠けている」みたいな口ぶりで責めるのはおかしいのです。

気持ち、心、ハート、やる気、情熱……これらは「生モノ」です。いつまで続くか、わからないし、本人にもコントロールが難しいものです。今、情熱に燃えている人だって、やる気に満ちている人だって、いつ、その火が消えてしまうかわからない。

それがわかっていれば、「一番大事なのはハートですよ」なんて、軽々しく言えないはずです。自分だって、その大事なものを、明日、なくしてしまうかもしれないのだから。

だから、「気持ち」がある人は、人として優れている、そうでない人は劣っている、そんな根拠の薄い、勝手な決めつけを、これ以上、世の中に横行させたくないのです。

逆に、好感が持てるのは、例えばスポーツのあとのインタビューで「途中キツかったんですけど、心が折れることなく、最後までもってくれてよかったです」みたいに、自分の心を他人事のように、ただの要素の一つと考えているような言い方です。

心=その人ではないということ。

そういうことがわかる人が、もっと世の中に増えて欲しいです。

心に優劣はない

つまり、パフォーマンスに影響する一つの要素として、心が大事という話なら、僕は否定しないけど、心が人の価値であるみたいに捉えられることが多いのがイヤなのです。

心に優劣はありません。

熱くなりやすいという特徴を持った心が、そうでない心より優れているということはありません。熱しやすければその分冷めやすいとか、冷めないにしても、その分、体に負担がかかるとか、落ち着きがないとか、怒りっぽいとか、何かしら弱点を持っているはずです。

どんな心であれ、利点と欠点を同時に持っているのです。

なのに「大事なのはハートだ」と言うことは、ハートが人の優劣を生みだしているという意味に聞こえます。「自分には他の人にないハートがあって、だからすごいのだ、だからできるのだ。それこそ優れた人間の証なのだ」という自慢に聞こえます。自分には才能があると。

心は、一人一人違っていいし、みんな自分の生まれ持った心に、誇りを持って生きればいいのです。

自分の心が他より優れていると主張することは、他人の心を独断で差別するに等しい行為です。他の人の心を尊重していないということです。

それは、ダサいなあと思います。

謙虚じゃないからとかではなく、心に優劣があると思い込んでいることがです。自分の一方的な決めつけを正しいと思い込んでいることがです。ものの見方の浅さがダサいのです。

僕にそんな思い込みはないとわかってもらうためにも、自分の胸を指しながら「やっぱり、人はココだよね」とか言う、気取った野郎にはなるまいと思っています。ダサいから。

技術と知恵

僕は「気持ちが大事」とは絶対言いません。じゃあ、代わりに何を言うか……。

大事なのは「技術と知恵」だと言います。情熱やパッションに頼らず、技術と知恵を身につけるべきだと言います。

技術と知恵は、心に左右されません。技術と知恵があれば、どんなときも、安定して力を発揮することができます。

だから、気持ちに関係なく、淡々と、技術と知恵を日頃から取り入れていく。身につけた技術と知恵は、簡単には失われることのない財産です。

そこに、心や気持ちが伴えば最強です。でも心は「生モノ」なので、あってあたり前のものではなく、付いてきてくれればラッキーくらいの考えでいいのです。

圧倒的な技術と知恵があれば、生まれつきの情熱の熱量くらいのハンデは乗り越えられるはずです。

才能がどうとか、あまり難しく考えず、目の前にある、身につけるべき技術と知恵を淡々と身につけていく。

それこそ、情熱という才能に対抗できる唯一の手段なのかもしれません。まあ、それすら考えず、周りを気にせず、自分のやりたいことや、やるべきことをやるのが理想なんですけど……。

僕としては、「人間、大事なのはハート」「気持ちが大事」と聞いたとき、うんうんと、よく考えもせず頷く人がもっと減ってほしい。「それはどうかな?」と首をかしげる人の方が多いくらいの世の中になってほしいです。もっとも、それが現時点でどのくらいの割合で存在しているのか、把握していないんですけどね……。

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