少し前に、「挨拶しない若者」や「挨拶不要論」という話題が出てきたことがありました。
「挨拶って、いらないんじゃないですか」と考える若者が出てきたという話です。背景には、形式主義的なものへの抵抗感があるらしいです。
僕はそういう考え方が出てくるのは自然なことだと思います。「そもそも、なんで挨拶ってするんだろうね」と考えてみる。そういうことって、すごく大事なんじゃないでしょうか。
ところが、ネット上では、いわゆる「良識のある、まともな大人たち」が、かなり感情的にそれを否定したり、非難したりする動きが見られました。そういう声がとても多くて、僕はむしろそっちのほうが怖いなと感じたんです。
挨拶なんてない世の中だったら、どんなに楽だろう
僕自身、挨拶は嫌だなと思っていた時期があります。中学生の頃です。
当時、僕は運動部に所属していました。先輩たちからは、挨拶をしないとすごく怒られました。
普段からきつく当たられていて、半分いじめのような状態でした。何をやっても一挙手一投足に文句を言われる。気が休まることがまったくなくて、いつもビクビクしながら部活に行っていました。
しかも、そのビクビクしている態度に対しても、「お前を見ているとイライラするんだよな」などと言われる始末。そんな人たちに対して、「挨拶をしなきゃいけない」と思い続けることが、毎日つらかったのです。
挨拶しないとどんな目に遭わされるか。挨拶しなければと、気が重くて仕方なかった。挨拶をしなければ怒られる。そんな恐怖で身体がこわばってうまく挨拶はできないし、できても、別の何かで怒られる。そういう環境の中にいました。
だから僕は、本気で思っていました。
「挨拶なんてない世の中だったら、どんなに楽だろう」
挨拶なんかなくて、みんな、何も話さなくていい。話したい時だけ話せばいい。そんな世の中になればもう少し気楽に過ごせるのにと。
みんなが挨拶しないのが当たり前になれば、それはそれで何の問題も起こらないし、別に会話をしないわけじゃないから、雰囲気が暗くなるということもないんじゃないかと思います。なにより「挨拶どうしよう、いつすればいいのか……」などと不安や緊張を抱かずに済むのだから、大きなメリットなんじゃないか……。
東京03だって……………………いや、その話はいいか……。
「挨拶をすると気持ちいい」「それって、あなたの感想ですよね」
その感覚は、その後もしばらく残っていました。
大学生になって、教育実習で小学校の道徳の授業を見学したことがあります。そのとき、「あいさつが嫌いな王様」という教材を使った授業が行われていました。
挨拶が嫌いな王様が、挨拶をした国民を牢屋に閉じ込めてしまう。ところが、国民たちは挨拶をやめられず、次々に投獄されてしまう。国が立ち行かなくなって、家臣から「王様、みんな挨拶が大好きなんです」とたしなめられる。
そんな話だったと思います。でも僕は、その教材を見ても、どうも腑に落ちませんでした。
挨拶が好きな人が多数だから、みんながそう感じているから、挨拶はするべきだ。どうも、そういう話に見えたんです。
「挨拶をすると気持ちいいから」というのも、挨拶をする理由としてよく聞きます。でも「それって、あなたの感想ですよね」という話ではないでしょうか。
あなたは体操部のG先輩に「てめー、あいさつしろよな!!」と唾をかけられながら毎日罵声を浴び続けていないから「挨拶は大事だね」などと、何の疑いもなく言えるだけでしょうと……。
そう感じない人のことは、あまり考えられていない。「みんな、そう感じるでしょ」という前提で話が進んでいるように思えます。
その結果、声が大きくて、挨拶が好きな人たちが主導権を握り、「挨拶はいいものだから、あなたもやりなさい」と押しつけているような印象が残ります。
「犬や猿でも挨拶をするんだぞ。それもできないなんて、お前は犬以下だ」みたいなことを言う人もいます。
でも、それもよくわかりません。犬や猿がやっているから人間もやるべきだ、という理屈は意味がわかりません。それなら、犬がやっているんだから電柱に小便をかけるべきということになります。(「おお、だから俺はかけてるぞ」という人は存分に挨拶もしたらいいでしょう)。
それも結局「挨拶はいいことだ。するべきだ」という結論が先にあって、あとから理由をつけているだけに見えます。
動物の挨拶は上下関係の確認みたいな意味合いも強いと言いますし、人間の対等性を重んじるならむしろ取り入れることを警戒すべきなんじゃないでしょうか。
僕はこの人たちとは違うよ
そういう考えだから、挨拶なんて、中学生の頃の僕が感じていたような、つらい思いをしてまでしなければならないことだとは思っていません。
だから、「挨拶しないやつはけしからん」と声を上げる人のほうが、僕からすると、よっぽど付き合いづらいし、怖いんです。
「挨拶って要らなくないですか?」と考えている人のほうが、むしろ挨拶についてちゃんと考えている可能性もあると思います。
「挨拶するのが当たり前だろう」と言う人のほうが、実は何も考えていない。そんなことだって、あるんじゃないでしょうか。
「挨拶はしたほうがいいよ。だって、そんな感じがするもん。みんな言ってるし」くらいにしか思っていない(ように見える)人が、しっかり考えて、勇気をもって「挨拶はいらないんじゃないか」と発言する人の人格を否定せんばかりの勢いで叩いているのが、僕としてはすごく嫌だったのです。
挨拶しない人を叩く人たちの、相手の考えに向き合わない頭ごなしの否定の姿勢が嫌だったのです。
だから、叩かれている「挨拶をしなくていい」という若者に、「僕は違うよ。この人たちとは違うよ。君の言うことはわかるよ。一緒に考えよう」って言ってあげたい気持ちでした。
僕は挨拶しない人を否定しない
僕が言いたいのは、挨拶はするべきか否か、どちらが正しいかという話ではありません。
僕の立場は、そのどちらでもありません。僕自身は、普通に挨拶をします。外に出て人に会えば挨拶するし、挨拶をされれば必ず返します。
挨拶をするか、しないかも、一つの選択です。どちらを選んでもいいんじゃないか。別に、どちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではないと思うんです。
もちろん、挨拶をすることが望ましい場面や、挨拶をするのがその場のルールになっている社会はあります。仕事などでは、挨拶をしたほうが円滑に進むこともあるでしょう。
でも、それはそういう形に社会が作られたからであって、それを作ったのは人間です。だから「挨拶をしない人間はダメだ」という考えも人間が作ったものに過ぎません。だから、「挨拶をしない人間はダメだ」というのは、決して普遍的な事実ではないと思います。人間の匙加減で変わることだからです。
そもそも、挨拶って人との関係を良好にするためのものじゃないの? だったら、その挨拶のせいで人が攻撃されたり、傷つけられたりしているなら、おかしいと気づくべきだと思うんです。
僕は昔、挨拶をしない人がいても、その人を絶対に否定しない、ということをエッセイのようなものに書いたことがあります。
挨拶をしないという、そんな小さなことを理由に、その人へ「ダメな人」というレッテルを貼ることは絶対にしない。周りがどう評価しようが、僕はその人を見捨てないし、理解したいし、その人の選択を尊重する。その立場は、今も変わっていません。
人にはそれぞれ考えもあるし、事情もある。挨拶をする、しないくらいのことで、人の価値が決まるはずはありません。そのことはここでもう一度言いたいです。
誰がどう言おうと、僕は絶対にその人を尊重するし、認めるし、悪く言いません!
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