筋トレをめちゃめちゃやっている人って、たまに「嫌な上司だって、いざとなれば腕力でねじ伏せられると思うと余裕が持てる」みたいなことを言います。
わかるような……。
いや、でもわからん。
自分の方が明らかに強いとわかっていても怖いじゃん、人って
たとえば、すごい剣幕で怒るおばちゃん。
泣きながら責めてくる女性。
自分を睨みつけてくる子ども。
ニヤニヤしながら人のカバンに何かを包んだティッシュを入れてくるおばあちゃん。
……想像すると全身が身震いするくらい怖いですよ。
明らかに僕より体も小さいし腕っぷしも弱いだろうけど、でもいざとなれば腕力でどうにかできるから大丈夫なんて発想にならないんですよ。
逆に、レスラーみたいな体格の男が怖いかと言えばそうでもないです。
つまり、自信とか他人への恐れの感覚とかって、身体面とはほとんど関係ないというのがこれまで生きてきた実感です。
僕が弱いから?
僕も昔に比べて他人への恐怖は和らぎました。
でも、それは身体を鍛えて筋力がついたからではありません。人がどういうものかわかってきたからです。
僕が人を怖いと思うのはやっぱり、もっと社会的な理由だと思うんです。
まあ、比較的子どもは怖くないですが、それも身体的というより社会的理由が大きいように思えます。さすがに子どもよりは自分のほうが社会のいろいろなことを理解してますからね。
だから、身体を鍛えて、フィジカルで勝れば優位に立てると純粋に思える人が羨ましく思えます。
生まれてこのかた身体的には男の中では、最弱の部類にいましたから、「強いか弱いか」を比べるような場所に出ること自体を避ける必要がありました。負けるとわかっている勝負などしない方がいいに決まってます。
「自分の方がフィジカルが強いからビビらずに済むぜ」なんて本能的な世界を生きたことがないのです。
ひょっとしたら、そういう身体の強さが全てを決めるような世界に生きた経験があれば、「いざとなれば腕力でねじ伏せられる」という理由で強気になれたりするのかもしれません。
マッチョになってはじめてわかるのかもね
あるいはマッチョな体になったことがないから、その感覚がわからないだけなのかもしれません。
一度なってみると、いままで感じたことのない自信が生まれ、その時ようやく「こんなやついざとなればひねり潰せる」と思うようになるのかもしれない。
まあ、そんな風に内心思っているような人にあまりなりたくないけど、身体を鍛えたらそうなる可能性もありますね。そういうものなのかもしれません。
ただ、僕は筋肉も脂肪も付きにくい体質のため、そこまでいける可能性は低く、またそうなりたいとも思っていません。
健康のためのトレーニングはこれからもやっていくけど、嫌な上司を腕力でどうこうできる自信がほしいみたいな理由で筋トレ頑張ろうという気持ちにはなりそうにありません。
だって、僕より腕力で劣るはずの何かを包んだティッシュをカバンに入れてくるおばあちゃんに感じる恐怖は、どれだけ鍛えても消える気がしないもん。
中井佑陽.com 
