noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』を連載中

引っ越します

私事ですが、今月(2022年6月)、引っ越しをします。

15年と数ヶ月住んだ千葉県を離れ、生まれ故郷である群馬県にアパートを借りて引っ越すことになりました。

引っ越しをする理由

アパート劣化問題

引っ越しをする最大の理由はアパート劣化問題です。同じアパートに15年以上住んでいるので、劣化がひどいのです。

キッチンの戸棚はベニヤ製の戸の木が湿気でもろくなり、蝶つがいのネジが木を破壊して、戸が落下しました。

風呂はカビの温床となり、カビとの混浴が日常となりました。

トイレの便器はなかなか落ちない汚れが付着。しかし、若き日の僕はこの程度の汚れはガッツで落とせると紙ヤスリで磨いた結果、コーティングが剥がれ、ますます汚れが付きやすい状態になって手が付けられなくなりました。

便器をヤスリで磨いてはいけないということを学びました。この学びを活かし、「もう二度とヤスリでトイレを磨かない」と心に強く誓いました。

数年住んだ段階でかなりボロボロになっていて、「そろそろ引っ越したいなあ」と思い始めたものの、引っ越せる資金がない。なんとなくお金を貯め始めても、すぐ使っちゃうため、なかなかたまらず。ダラダラ住み続け、こりゃ本気出さなきゃダメだと、本格的に引っ越しを意識して計画的に貯金を始めたのは2020年。そこからようやくお金が貯まった次第です。

都会に住む必要はない

もともと東京の学校に通うために借りたアパート。東京から離れた他県なら、もっと住み心地のいい部屋に、もっと安い家賃で住めることには気付いていました。

インターネットの発達で、家賃相場の高い東京近郊に住むメリットは少なくなりました。ショッピングなどもネットでできるので、買い物に便利な場所じゃないとダメってこともないです。僕のやりたい仕事もパソコンがあればできるので、住む場所はどこでもいいということになります。

そう。「住む場所なんてどこでもいい」のです。どこでもいいからこそ、いままで引っ越した方がいいことに気付いていながらも、引っ越しをせず、15年以上千葉に住むことになってしまったとも言えます。

群馬に「帰る」と言われるのは不本意

どこでもいいから引っ越したい……。

どこでもいいと言っても、全国は広すぎて、どこに住みたいのかよくわからない。わかるのは東京の近くに住む必要がない立場にいるのに、ボロいアパートに高い家賃を払い、住み続けているのはもったいないということ。

安く住めて、コスパのいい素敵な場所はあるんでしょうけど、僕はよく知りません。さりとて、あてずっぽうで、縁もゆかりもない場所に急に住む気にはなれません。それは僕の見識の狭さゆえとしか言いようのないところです。

そう考えたとき候補になったのがふるさと、群馬でした。群馬は関東において、家賃相場は最安クラスで利害は確実に一致します。縁やゆかりは十分あるし、自然や高校野球チーム(前橋育英や健大高崎)などは好きなので郷土愛のようなものもあるにはあります。

だけど、「地元(故郷)に帰るんだね」と言われることは、不本意だったりします。今の僕の気持ちとして、「愛する故郷に帰る」などという感覚とはかけ離れているからです。

「帰る」という言葉には、僕が抱く「これからもっと仕事のしやすい部屋に引っ越して、もっと大きなチャレンジをする」という前向きな気持ちが反映されないからです。逆に「都会に出たけど、夢破れて帰ってきた敗北者の図」みたいな受け取り方をされそうです。

また、群馬に住んでいた期間より、群馬を離れて一人暮らしをしている期間の方が長いし、実家に住むわけじゃないので「行く」という感覚の方が「帰る」という感覚より強いのです。

そして、僕にとって群馬あるいは実家は「そんなに帰りたい場所じゃない」のです。これまで、正月もほとんど帰省せず、仕事をしていました。そのくらい帰りたくないんです。

群馬には何もいい思い出がないのです。群馬のことを思い出しても、粗野で思いやりのない人達にいじめられ、傷つけられた記憶ばかりが蘇ります。僕が何も言い返せないことをいいことに、サンドバッグのようにイライラをぶつけてくる人が相当数いたのです。

そうして、人が怖くなり、目を伏せ、ビクビクしながら生きる青春時代をすごし、声の出し方もわからなくなりました。「このまま、こんな人生で一生終わらせてたまるか」とアナウンス学校に入り、声の出し方を一から学ぶことにしました。アナウンス学校が東京にあったので、通うために借りたアパートが今のアパート、という経緯です。

僕にとって「群馬=蛮族の住む地」でしかありません。そういう人達が今も群馬をうろついているかもしれないと思うと、絶対に再会なんてしたくないという気持ちです。万が一僕のことをいじめていた人に再会した場合、無視します。知らんぷりします。何か言われても「こちらからは特にありません」と言おうと思います。

もちろんわかっていますよ。「粗野な人間はどこにでもいる。群馬だけじゃない」ってことは。でも多感な時期に植え付けられた嫌な思い出は、心に染みついて取れないんです。

群馬も、たぶんイヤな人ばかりではないし、僕も成長しているので、そんな蛮族ばかりの地でもどうにかやっていけるでしょう。あえて群馬を避けなくても、レベルアップした今の僕ならやっていけるということを確認したいということもあります。

ということで、引っ越しの動機として「地元に戻りたいから」「地元だから帰りたい」というのはゼロです。

「安く住める場所で快適に過ごしたいけど、その利害が一致する場所が群馬以外に思い当たらないから」というのが群馬にした理由です。アパートがボロくなって、引っ越したくなって、それはどこでもよくて、例えば群馬でもよかったということなのです。

「地元だと安心だね」などというのはむしろ逆です。千葉にいる方がずっと慣れているし安心です。

でもきっと、誤解され続けるのでしょう。人からすれば「地元だから帰る」というのがわかりやすい構図なのでしょう。

だから、そう言われたら強く否定せず「はあ、まあ」くらいの受け答えはしていくつもりです。こんな事情を説明しても、その人にとってはどうでもいいことでしょうから。

ただ、その誤解を放置したままだとフラストレーションがものすごくたまるので、こうしてここに吐き出す次第です。

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