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「カラオケで盛り上がる曲」という共感できないワード

「この曲はカラオケで歌うと盛り上がる」みたいな話を聞くと、まず思うのは「カラオケって盛り上がる必要ある?」ということです。

この「盛り上がりたい」欲求がよく理解できません。盛り上がることはよいことであるということになっていることが、よく分かりません。

「楽しい」と「楽しそうにする」は別のこと

「いや、場が盛り上がったら楽しいじゃない」と言われそうです。普通はそう思うんでしょうね。

楽しくないわけじゃないんです。いや、確かに楽しくないこともあるけど、全く楽しんでいないとも限らないんです。

僕にとって「楽しいと感じること」と「楽しさを表現する」ということは全く別のことです。

「楽しい」という気持ちは自分の中だけで完結しますが、「楽しさを表現する」「楽しそうにする」ということは他人に対しての気遣いです。「自分は楽しんでいますよ」と顔や身振りで意識的に演じています。

つまり楽しいと感じている場合、それらしい動きをしないとそれが伝わらないから頑張ってそれをしているのです。

それは僕にとって、毎回とても面倒くさいです。楽しいと感じるのはいいのですが、それを無理に表現する行為は疲れます。そして「盛り上がる」というのは「最上級に無理をする」ということに他なりません。

しかし、たいていの人はこう考えます。「本当に楽しければ自然とそういう振る舞いができるはずだ、勝手にそうなるはずだ」と。だとしたら僕は本当の楽しさを感じたことがないのかもしれません。

そのあたりはクオリアの問題で、他の人がどの程度の楽しさを感じているのか代わりに感じることができない以上、知るすべがありません。

でも、本当に自然とそうなるものなんでしょうか? それは「楽しい」という感情と、表情や動きなどの表現がセットになるように、学習し、訓練され、無意識でもできるレベルに達しているから自然と起こっているように感じるだけということはないでしょうか? そのリンクがつながっていない人がいてもおかしくないと思いませんか?

とにかく「盛り上がる」と「楽しい」が僕には全く結びつかない。その二つに因果を感じないんです。

むしろ、盛り上がっている、つまりテンションが高くなってる人を見ていると、逆に僕の気持ちはどんどん冷めていくんですよね。なぜかはわからないです。

周りの人達が盛り上がるほど、取り残され孤独を感じることになります。僕のような人間は、これを人生を通して感じ続けなければならないのです。

生きづらいです。

理想のカラオケ

というわけで、僕はカラオケに参加することに向いていないです。

とはいえ、カラオケや歌の全てが嫌いというわけではありません。好きな歌を歌ったり、聴いたりすることには楽しさを感じます。

ただ、盛り上がるのが嫌なだけです。

しっとりした上手な歌をしみじみ聴くだけのカラオケだっていいじゃないですか。というか、そっちの方がいいじゃないですか。

僕の理想は前川清さんみたいな人が直立で歌っているのを、手を膝に置いてじっくり聴くカラオケです。

ただ、この理想を叶えるには前川さんみたいな上手い人とカラオケ仲間になる必要があって、そのハードルが高いので、実現は諦めていますけどね……。

理想的なカラオケのイメージ