noteで『三刀流修行~中井佑陽インタビュー~』を連載中

誕生日は祝わない

誕生日を祝わないことにしています。

誕生日って、日付が生まれた日と同じというだけの、何でもない日じゃん

日付というものに意味が無いからです。

僕の誕生日は6月7日ですが、僕が生まれた年の6月7日と、今年の6月7日は全く別の日です。

僕が本当に生まれた日、つまり、その年の6月7日は確かに特別な日かもしれません。しかし、その年以外の6月7日は、太陽が昇って沈むだけの普通の日です。何も起きていません。8月3日などと同じです。

生まれたその日は誕生祝い、出産祝い、大いにやればいいけど、翌年以降は日付が同じというだけで、お祝いをすることに必然性を感じません。1000日ごとにお祝いすることもできるのに、なぜ日付が同じ日だけを祝うんですか? ということになります。

したがって、自分の誕生日を祝いませんし、他人の誕生日も自主的には祝いません。もし誕生日会などに呼ばれることがあったら仕方なくという感じです(その人を嫌っていると誤解されても困るからです)。

めでたくもないし……

誕生日は「本当に祝いたいことか?」「本当にハッピーか?」ということもあります。

子供だったら、一年間、無事に育ったということは結構めでたいことですから、誕生日を祝ってもいいのかもしれません。

でも僕は子供というには無理のある年です。めでたさも感じません。

一年生きた無事を祝いたいというのは分かります。でも、それは正月にみんなで一緒にやればいいことです。年2回もやる必要はありません。

誕生日は特別でも何でもない普通の日です。特別なことは絶対にしません。そう決めました。人から「おめでとう」と言われたら、「あ、どうも」と、気持ちはありがたく受け取りたいとは思いますけど……。

何か目標を達成したとき祝えばいい

とはいえ、何かを祝うような特別な日がほしいと思うこともあります。だから、誕生日の代わりに、本当に祝いたいことを、祝いたいとき祝えばいいと思っています。

例えば、今小説を書いているので、それが完成したら盛大に祝います。小説完成祝いの一泊旅行とかやりたいです。

何か大きな目標を達成したら、その時に祝う。その方がよほど心から祝えると思うのです。

毎年、目標を決めて頑張れば、一年に一回くらい、祝い事はできるので、誕生日がなくなっても、何の問題もありません。

年に一回じゃ足りないなら、自分で勝手にもっと増やせばいい。誕生日を無くしたからといって、満足度を減らさない方法はいくらでも考えられます。

もちろん、目標を達成した日を「記念日」として、翌年も祝うなんてことはしません。翌年のその日付の日は違う日だからです。「記念日」は、その年のその日だけ。その分、新しく作っていけばいいじゃないですか。

何もしていないのに、「日付が何月何日だから」という理由で祝うということがおかしいのです。

過去にすがるな。新しい記念すべき日を作ろう。今日をその日にしよう。そういう前向きな姿勢で生きていきたいものです。

余談その1

誕生日と言えば、Twitterでアニメやゲームのキャラクターの誕生日が祝われているのを見ると複雑な気持ちになります。

キャラクターの誕生日なんて、作者が適当に決めただけのやつなのに……。「おめでとう」と言っても喜ぶ人が現実にはいないのに……。現実に生きているのに、誕生日など忘れられている人もいるのに……。そんなことを思います。

いい悪いとかではなく、人間ってそういう側面があるよなあって。

余談その2

一年の無事は正月に祝えばいいと言いましたが、僕は正月も飲み食いして祝うということをしていません。

大抵家で仕事をします。正月は「スタートダッシュのチャンス」という位置づけです。

みんなが休んでいる時ほど、頑張りたくなるのです。

我ながらどうしようもなく、あまのじゃくです。

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